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スノボ日本代表・鈴木選手が新ビジネスで活動資金を得る 動物愛護と両立も

スノーボードのナショナルチームメンバー・鈴木瑠奈選手(本人提供)

 

 スノーボードのナショナルチームメンバーである鈴木瑠奈選手(23)=東京都東久留米市在住=は11月、個人事業主としてフィットネスウエアの新ブランドを立ち上げ、その収益を活動資金に充てている。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあって就職活動をしても所属企業が見つからず、活動費を自身で稼ぐため、苦肉の策として起業した。幸いフィットネスウエアの製造・販売事業は好調。「お金がないからといって競技をやめるわけにはいかない」という固い決意の裏には、さまざまな思いがある。鈴木選手の競技人生とビジネスについて聞いた。

 

スイスのSaas-Feeスキー場で練習する鈴木選手(本人提供)
スイスのSaas-Feeスキー場で練習する鈴木選手(本人提供)

 

 昨シーズンは海外遠征で好成績を挙げ、2020年1月にワールドカップ(W杯)に初出場できる基準をクリアできたのですが、全日本スキー連盟(SAJ、スノーボード競技は同連盟の傘下にある)がコロナ禍を理由に活動休止を決定、日本人選手は国際大会に出場できなくなりました。スノーボードとの出合いは17歳と競技歴はそれほど長くありませんから、「力が付いて、やっと国際舞台に挑戦できる」と意気込んでいたので悔しい。コロナ禍が過ぎ去った後はゼロからチャレンジせねばなりません。

 

 競技を始めたきっかけは、2014年2月に行われたソチ五輪です。テレビ観戦でスノーボードクロスという競技があることを知り、「自分がやりたいスポーツはこれだ!」と思いました。「雪上のF1」といわれるこの競技は、4選手が一斉にスタートし、ゴールを目指します。以前は6人のレースもありましたが、近年はほとんどの大会が4人で争う形式になっています。マイナー種目ですが、初めて見た人でも、ぱっと見て勝者が分かる。単純明快。だから面白いのです。

 

ソチ五輪の女子スノーボードクロス決勝
ソチ五輪の女子スノーボードクロス決勝写真:ロイター/アフロ

 

夏はニュージーランド、冬は長野で練習

 ソチ五輪後、アルペンスノーボードをやっていた友人に「どうしたらいいか」と相談し、「一緒にニュージーランドのキャンプへ行かないか」と誘ってもらったことが競技の世界へ入る第一歩となりました。「とにかく、雪の上を滑らなくちゃいけない」と2014年夏にはニュージーランドへ。スノーボード・アルペンの元日本チームのコーチが主催するキャンプに参加しました。休学中の1年をも含めた大学5年間はずっと、夏はニュージーランド、冬は長野の野沢温泉スキー場で練習しました。

 

 スノーボードクロスの専用コースは日本にありません。競技を始めてから3年間ぐらいは、プロスキーヤーと一緒に、ひたすら滑りました。スキーはボードよりもスピードが速いですから、後ろについて斜面を攻略する技術を見て覚えるのです。技術的な練習を本格的に始めたのは、3、 4年前からでした。

 

 大学の単位を3年半で取り終えるために春・秋季は週5日通学し、資金調達のためのアルバイトをし、トレーニングジム通いを続け、冬は競技に専念するという日々です。昨シーズンは半年間、米国で現地のプライベートチームに所属して練習をしました。

 

ナショナルチームのメンバーである広野あさみ選手と(鈴木選手提供)
ナショナルチームのメンバーである広野あさみ選手と(鈴木選手提供)

 

身体能力の高さと語学力が鈴木選手の持ち味(本人提供)
身体能力の高さと語学力が鈴木選手の持ち味(本人提供)

 

英語が話せなければ、成長はずっと遅かったと思います。1人で世界のどこにでも行ける語学力が競技力向上につながっています。活動費を稼ぐのは大変ですが、1年間に2回、雪上で練習できることは大きな強み。2022年北京五輪に出場し、2026年ミラノ五輪でメダルを獲ることが目標です。

「企業からの声掛けを待っていてはダメだ」

 学生時代は父に活動費を援助してもらっていましたが、社会人になってからは「父に頼っていてはいけない。自分で活動費を稼がなければ」と思うようになりました。そこでJOCが運営するアスリートと企業をつなぐ「アスナビ(アスリートキャリアサポート事業)」に登録し、所属企業を求めて就職活動をしました。しかし、コロナ禍で登録企業数は激減し、採用には至りませんでした。

 

 2020年3月に大学を卒業した後、スポンサーが見つからず、いつ試合ができるか分からない状況に「アスリートとしての将来像が見えない」と悩みました。多くの若い選手が、企業や親から支援が得られず、競技を断念していく姿を見て、「スポーツがお金に支配されていてはいけない」「企業からの声掛けを待っていてはダメだ」と思ったのです。そして、現状を変えたいと11月にフィットネスウエアを製造・販売するビジネスを立ち上げました。

 

鈴木選手が立ち上げたブランド「SOUL fitwear」(本人提供)
鈴木選手が立ち上げたブランド「SOUL fitwear」(本人提供)

 

「SOUL fitwear」のフィットネスウエア(本人提供)
「SOUL fitwear」のフィットネスウエア(本人提供)

 

 ブランド名は「SOUL fitwear(ソウルフィットウエア)」。日々の生活にフィットネスは重要であり、私は気に入ったウエアを着ることでモチベーションが上がります。コロナ禍だからこそ、体を動かすことでアクティブなライフスタイルを実現できるよう、多くの女性の心に働きかけることができるウエアを作ってみたいと思いました。

 

 唐突な思いつきに聞こえるかもしれませんが大学時代、水着を個人輸入してフリマアプリで転売していました。夏場などは1カ月に30万円近くの利益があり、それを遠征費などに充てていました。衣料品のネット販売ビジネスへの興味と知識があったので、「今度は自分のブランドを立ち上げよう」と思ったのです。生地や色・柄、形などを決め、着る側のニーズを反映したデザインを海外メーカーに発注し、作ってもらいます。開業3カ月の売上は予想を大きく上回りました。

収益の一部を動物愛護団体に寄付

 収益の一部を動物愛護団体に寄付しています。ブランドを立ち上げた時から、アスリートとしての活動資金を得るだけでなく、保護犬・猫を支援することも目標でした。新型コロナによってペットブームが到来し、ペットショップの売り上げは増えたけれど、しつけがうまくいかず飼育放棄するケースが相次いでいるという報道があります。殺処分される動物を少しでも減らしたいので、動物愛護団体へ寄付金を渡してきました。今後は団体が求める物資を買って渡す予定です。

 

子どものころから動物が大好きだった鈴木選手(本人提供)
子どものころから動物が大好きだった鈴木選手(本人提供)

 

 スノーボード、フィットネス、動物愛護活動。私にとって大切なこと三つを掛け合わせて実現しようとしたのが「SOUL fitwear」です。「SOUL fitwear」の商品を購入し、ブランドと競技活動をサポートしてくださるお客様の力で、少しでも多くの動物たちの命を救いたいと思っています。

 

 ブランドがもっと大きくなれば、ほかの選手の活動を支えることもできるかもしれません。「お金がないから続けられない」と競技をやめてしまっては、次に続く子どもたちが夢を見ることはできません。スノーボードがマイナースポーツだからこそ続け、次の世代に託すことが大事だと思います。

 

      ◇        ◇

 

 経験の浅さを補うため、南半球と日本を行き来して1年に2度、雪上練習ができる練習環境を実現、競技力を伸ばしてきたのが鈴木選手のスタイルである。技術を習得するため、語学力を駆使して指導者や選手に指導を仰いだ。だからこそ、ほかの選手が10年かけて体得する競技力を、半分以下の年月で身につけることができた。

 

「スノーボード、フィットネス、動物愛護活動のどれもが自分の人生で大切なこと」と話す鈴木選手(本人提供)
「スノーボード、フィットネス、動物愛護活動のどれもが自分の人生で大切なこと」と話す鈴木選手(本人提供)

 

 W杯出場の扉を開けたタイミングで、コロナ禍に見舞われた。1年経っても状況は悪くなる一方である。今年2月のヨーロッパ遠征は「着いた途端に大会中止」となる可能性もあるため、断念した。渡航費だけでなく、検査や足止めされた場合の費用負担も重いと考えたからである。緊急事態宣言の延長で、東京から雪のある地方へ行くこともできず、都内でトレーニングしながら新ビジネスに打ち込むしかないのが現状である。

 

「かわいそう、大変そうと思われたくない」

 インタビュー中、鈴木選手は明るかった。「かわいそう、大変そうと思われたくないんです」。困難に見舞われても状況をマイナスに捉えず、むしろ、ポジティブに捉え、全力で解決策を模索している。ビジネスという挑戦によって、マイナスをプラスに変えることができているのが、彼女の強みなのだと思う。感情に流されず自身と向き合い、純粋に「スポーツの意義」を考えている。

 

「五輪に出場することや、メダル獲得は目標です。ただし、練習環境や競技団体からの支援など日本人選手が置かれた現状では、それは難しいと言わざるを得ません。五輪が開催されなかったとしても、どこまで競技を続けられるのか。アスリートとしてどれだけ高いレベルに行けるか。自分の活動でどれだけの人に勇気とインスピレーションを与えられるか。それを知りたくて今、頑張っています」

 

 鈴木選手からは「スポーツは誰にとっても必要である。アスリートとして絶対、競技を諦めない」という熱いメッセージが伝わった。

 

「五輪が開催されなかったとしても、アスリートとしてどれだけ高いレベルに行けるかに挑戦する」と話す鈴木選手(本人提供)
「五輪が開催されなかったとしても、アスリートとしてどれだけ高いレベルに行けるかに挑戦する」と話す鈴木選手(本人提供)

 

すずき・るな 1996年12月生まれ、東京都東久留米市出身、同市在住。上智大卒、STANCER所属。高校時代はホッケー競技で2014年東京国体に少年女子東京選抜として出場。同年のソチ五輪をテレビ観戦し、17歳でスノーボードクロスを始め、20歳でJSBA公認プロ資格を取得し、プロツアー参戦。競技歴5年となる21歳でSAJナショナルチーム入り。2019年PSA Asiaプロツアー第3戦準優勝、FISジュネス栗駒カップ準優勝。2019―20シーズンの国際大会はBeaver Valley 北米選手権 第2日の5位が最高。158センチ、54キロ。

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。93年から2000年までスポーツ、01年以降は教育・研究・医療などを担当した。12年に退社し、フリーランスとなる。雑誌・書籍やニュースサイト「AERA dot.」「telling,」「sippo」「東洋経済オンライン」「m3.com」などで執筆、写真撮影も担当。北陸を拠点に活動し、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは看取り、社会的養育、性教育、がん治療など。アマチュアスポーツ全般、野球、武道、フィギュアスケートの取材もしている。魅力的な人(猫も)・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。@tomoko.wakabayashi.33